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vol.17 コミュニケーションの基礎作法
安西 洋之

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2017年2月号
※本コラム「ワールドワイド トレンド」は、アジア編・ヨーロッパ編・米国編の輪番で毎月掲載しています。
 


 
最近、「日本の製品を海外市場に出すに当たり、日本の人が海外仕様にしたものは売れない」という意見をソーシャルメディアのコメント欄で目にした。これは、市場適合であるローカリゼーションの否定ともとれる。
 
今回は、この発言の背景や、日本の企業が今後何を考えるとよいかについて論じてみたい。
 
まず、この発言の背景として考えられることを書こう。
 
当然のことだが、機械や電気製品が市場の規制をクリアしなくてもよいわけではないし、中東の砂漠を走る自動車が地形や環境を無視してよいと言っているわけではない。
 
また、世界に普及したローカライズされた内巻きのすしがいけないわけではない。これは外国人が好みや文化に合わせてすしを変えたのであって(例えば、海苔(のり)のような黒い色の食べ物を嫌う人は少なくない)、日本人の発想ではない。
 
日本で売れなくなった和服の生地をバッグや、フランスの高級ブランドの洋服の材料として採用してもらったりする。陶器のデザインを欧州市場向けに「自主的」に変えて売ろうとする。このようなパターンを冒頭のコメントは指していると理解した。
 
コメントを書いた人は、こうも述べている。「村上春樹の小説は世界各国で翻訳されベストセラーになっている。村上春樹は海外市場向けに小説を書いたのか?
 
そうではないだろう」というのが主張の骨子にある。
 
村上春樹の作品が海外で読まれる理由
 
村上春樹は、もともと海外文学に原語で親しんでいたため、日本語で書かれた小説は当初、翻訳調であるといわれた。従って、後になって英語に翻訳された彼の小説は、米国でもあまり違和感なく受け止められた。
 
彼の小説には、ジャズや英米の小説や映画などが小道具に使われることが多い。そのため、英米の文化になじんでいる各国の読者が無理なく受け入れる世界を創り出している。
 
ある米国のライターは、日本の人は皆、村上春樹並みに西洋文化に造詣が深いと思い込んでいたほどだ。初めて日本を訪れたとき、春樹が例外であると知ったという。
 
この村上春樹の例をどのように捉えるべきだろうか。
 
海外ウケを考えず、自分の思うように作品を創った結果、世界の人たちに共通する琴線に触れたならば、市場で売れる。
 
これは半分正しい解釈である。前述したように、もともと村上春樹には英米文化の素養があり、それが徹底して身に付いていたからこそ売れたのだ。三島由紀夫はどうなのか、吉本ばななも売れたのではないか、という反論に対しては、日本文化に全く関心のない一般の読者が、村上春樹ほど多数、長期にわたってファンとはなっていない、ということになろう。
 
この話を雑貨や家具などのデザイン製品に置き換えてみよう。日本の企業が海外市場で苦労しているカテゴリーである。
 
自動車や家電という耐久消費財については、大企業が長年培ってきた経験がある。だが、特に家電は、韓国や中国の企業の追い上げによって市場での存在感を急激に失ってしまった。幸いなことに技術製品でありブランド力もあるため、鼻にもかけてもらえないということはない。
 
ただ、雑貨や家具の領域には、海外市場での実績はほとんどなく、中小企業が多くてゼロからブランド認知に努めなければならない事情がある。しかも技術製品ではないために、外観や使い勝手が第一に優先される。
 
「クールジャパン」推進のおかげで、海外の展示会への挑戦も盛んに行われている。同時に失敗ストーリーも山のようにある。その反省は、「海外市場の文化を知らなさ過ぎた」ことであり、海外の生活を反映した製品にローカライズして出し直すことになる。
 
冒頭の意見はこのようなケースに対して語っているのではないかと私は思った。ローカライズの否定ともいえるが、正確には、「海外市場文化の中途半端な理解に基づいたローカライズをするくらいなら、何もローカライズをしないでオリジナルの質の高さに注力すべき」という趣旨だったのだろう。

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