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100年先も一番に
選ばれる会社へ、「決断」を。
【対談】

100年経営対談

注目企業のトップや有識者と、タナベコンサルティンググループの社長・若松孝彦が「100年経営」をテーマに対談。未来へ向けた企業の在るべき姿を描きます。
対談2017.06.30

日本発のハンバーガー、世界へ挑む。「らしさ」をつなぐブランドコミュニケーション:モスフードサービス 櫻田 厚氏 × タナベ経営 若松 孝彦

 

モスフードサービス 代表取締役会長 櫻田厚氏(左)、タナベ経営 代表取締役社長 若松孝彦(右)。 モスのマスコットキャラクター「モッさん」と一緒に

モスフードサービス 代表取締役会長 櫻田厚氏(左)、タナベ経営 代表取締役社長 若松孝彦(右)。
モスのマスコットキャラクター「モッさん」と一緒に

 

素材や味にこだわった商品を提供し続けるモスバーガー。「待ち時間がかかっても食べたい」とファンから思われる商品を生み出す戦略とは何か。ファストフード業界において独自のブランド企業に成長したモスフードサービスの代表取締役会長・櫻田厚氏に聞いた。

 

創業期を共にした叔父からの事業承継

 

若松 モスフードサービスは、日本発のハンバーガー「モスバーガー」をはじめとする外食チェーンを運営し、2017年3月に創業45周年を迎えられました。私もモスバーガーファンの1人です。まず、創業の原点と櫻田会長がモスフードサービスに参画した経緯をお聞かせください。

 

櫻田 当社の創業者である櫻田慧は父の弟で、私の叔父に当たります。叔父の実家は岩手県大船渡市で料亭を営んでいました。猛勉強の末、東京の私学の医学部に合格しますが、高額の入学金や寄付金が捻出できずに経済学部へ転部。そこを首席で卒業して日興證券(現SMBC日興證券)に就職し、米国・ロサンゼルスに駐在することになりました。そこで食べた老舗ハンバーガーショップ「トミーズ」のハンバーガーに感激し、後に事業を興す際に、「あの時食べたトミーズのような商品を日本で売り出そう」と決意。トミーズの創業者トミー・コーラックからレクチャーを受け、1972年にモスバーガーの1号店となる成増店(東京・板橋区)をオープンしたことが始まりです。

 

私が高校2年の時に父が逝去、生活が一変しました。大学進学を諦め、レストランでアルバイトをして生活費を稼ぎ、卒業後は広告代理店に勤務していました。2年半ほどたって叔父から「飲食の仕事を始めるから、厚に手伝ってもらいたい」と連絡が入り、アルバイトとしてモスバーガーに入りました。当時、がむしゃらに働いたら社員より稼げるので、「アルバイトでやります」と申し出たのです(笑)。

 

若松 創業期を創業者と共に過ごされたわけですね。アルバイトから社員になり、そして、後に1997年に急逝された創業者の後を継がれました。

 

櫻田 創業者が亡くなった時、私は海外事業担当役員として台湾に駐在していました。当時、私より上位の取締役は多数いましたが、他の取締役からの説得もあり、悩み抜いた末に私が社長になる決意をしました。

 

若松 アルバイトから社員、幹部、役員、そして海外事業担当と、これからのモスフードサービスに必要な職務を経験されていましたが、経営者になられたときにはまた違ったご苦労があったのではないでしょうか。

 

櫻田 創業者が急逝したこともあって、47歳で社長に就任した時は自分が経営に関して無知だったこと、自分の人脈には経営に関する相談ができる相手がいないことをあらためて認識しました。そんな私に、創業者とご縁のあった、大正生まれや昭和1桁生まれの経営者の方々から「困ったことがあったらいつでも訪ねてきなさい」と言っていただいたのは、本当にありがたかったですね。

 

大手芸能プロダクションのある創業者からは、「あなたは力を入れ過ぎ。はっきり言って創業者は楽なんだ」と言われました。「創業者はゼロかマイナスから起業して会社を大きくするから、たとえ失敗しても元に戻るだけ。その会社をあなたがもっと立派にしても『やっぱり創業者がすごかったからだ』と言われるし、業績を落とそうものなら『やっぱり後継者は駄目だった』と非難される。あなたにとって良いことなんて1つもない。だから、創業者を意識しないで、自分が正しい道と納得できる方向性を見つけ、それをやり抜けばいいんだよ」と。それを聞いて、すごく気が楽になり、肩の力がスッと抜けました。素晴らしい人脈から、何ものにも代え難い貴重なアドバイスをたくさん頂戴したことを覚えています。

 

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