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【コンサル事例】

チームコンサルティング対談

クライアント企業などとタナベコンサルティンググループのプロフェッショナル・コンサルチームによる経営対談。企業成長の施策と成果を紹介します。
コンサル事例2020.08.19

テック長沢:“社員と共につくる夢”を実現する組織経営へ

 

 

テック長沢本社工場

 

 

ここ10年で社員数が約10倍になるなど、急成長を遂げているのが新潟県柏崎市に本社を置くテック長沢だ。技術力+営業力でマーケットを広げる一方、人材育成と人事制度をリンクさせた仕組みを構築。多様な人材を生かす環境を整え、さらなる飛躍を目指す。

 

 

営業に注力し顧客を開拓 急成長を遂げる

 

森松 金属の切削・研削加工を得意とするテック長沢は、幅広い業界に向けて部品機械加工・組み立てを行っており、ここ10年で急成長を遂げられました。まずは創業の経緯からお聞かせいただけますか?

 

長澤 鉄工所で働いていた祖父・長澤信治が同僚と共に1963年に鉄工所を立ち上げたのが始まりです。1970年に有限会社長沢工業所へ組織変更した後、1983年に父・長澤信博が社長に就任。私が会社を継いだのが2011年、32歳のときでした。

 

森松 創業から57年目を迎えられますが、この間に商材や商圏の変化はありましたか?

 

長澤 創業から金属の削りをメインとしており、コア技術は変わっていません。ただ、商圏については、祖父と父の時代は仕事のほとんどが地元の大手企業からの依頼でしたが、現在は関東(神奈川県厚木市)や名古屋にも営業拠点を置くなど、全国に広がっています。

 

森松 特に、長澤社長が代表取締役に就任されて以降の成長ぶりには目を見張るものがあります。

 

長澤 私が入社した当時は全社員で17名という小さな鉄工所でしたが、おかげさまで現在はパート社員を含めて172名まで増えています。ただ、社長就任後に急に業績が伸びたというよりも、それまでの基礎や下地が成果として現れてきたのだと考えています。父の「現場にはまるな」という方針もあって、一通りの仕事を経験した後は新規開拓に力を入れてきました。それが今につながっているように思います。

 

森松 製造業でありながら「現場にはまるな」とは、面白い考え方です。

 

長澤 現場やものづくりにこだわり過ぎると外に出なくなり、お客さまを訪問できなくなると考えたのだと思います。ただ、当時は社内に営業部すらなかったため、何をすべきか考えながらホームページを自作したり、飛び込み営業をしたりと手探りで新規開拓をしていました。

 

特に2008年のリーマン・ショック後は何とか状況を変えようと奔走しました。お客さまも仕事が減って時間があったのでしょう。話を聞いてくださる会社が増える中、新しい技術やチャンスを求めるお客さまと出会えたことが、他社よりも早く業績を回復できた要因となりました。

 

森松 まさに、ピンチをチャンスに変えた好例です。

 

長澤 リーマン・ショックで仕事量が大幅に落ち込みましたが、仕事が広がるきっかけにもなりました。また、この期間に人材も強化できました。当時、他社が休業や人員削減を行う中、当社は社員を一人も削減せずに毎日勉強会を実施。社員を教育しながらいつでも操業できる体制を維持したため、仕事が戻った際にはいち早く事業を再開できました。さらに、他社が採用を控える中、優秀な人材が採用できたことも成長の支えとなっています。

 

森松 2020年は新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、現在も経済活動への影響を与えている状況です。

 

長澤 リーマン・ショックのときと比べると、2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻した直後は、誰も世界中に飛び火するとは予測していませんでした。一方、今回は世界中が危機意識を持っていたため、経済対策が逐次取られてきたという印象です。

 

経営者としては、置かれた状況の中でできることを最大限にやっていくほかに、手はないと考えています。今は何もしない方が良いといった意見もありますが、その間の遅れを数年後に取り返すことは非常に難しいだろう、というのが率直な気持ち。目先の体力も大事ですが、次に伸びるための準備期間として捉えることが重要と考えています。

 

 

 

自社開発製品「電動ねじゲージ」。これを使うことで、ねじ穴の検査時間短縮、判定基準の安定、作業性向上などにつながる

 

テック長沢 代表取締役 長澤 智信氏
1978年生まれ、柏崎市出身、新潟大学法学部卒。インテリアメーカー・サンゲツを経て2003年テック長沢入社、2011年から代表取締役。家業を継ぐ傍ら、老舗味噌醤油蔵元・越後みそ西の経営を引き継ぎ再建に力を注ぐ。また、地域創生を主事業とするAKKプラスを地域の仲間と共に立ち上げた。「あまのじゃく」をモットーに、人と違うことを追求しながら、地域の雇用創出に全力を注いでいる。

 

 

社員と夢を共有し組織経営を目指す

 

森松 この10年間で社員数が約10倍に増えています。人材採用難の時代にあって採用を成功させる秘訣はどこにあるのでしょうか?

 

長澤 新卒採用については、私が率先して採用の現場に出向いて話をしています。多数の企業が並ぶ中、説明会で当社に目を向けてもらうには工夫が必要。社長自ら「一緒に夢を追い掛けてもらいたい」と語り掛けると、何人かは目を輝かせてくれる学生がいます。

 

五島 社長の夢に共感した社員が集まっていることも、成長スピードを上げるポイントなのでしょう。現在、次世代の経営幹部育成を目的とするジュニアボードに取り組んでおられますが、メンバーには社長の思いに共感して集まった中途社員も多いですね。

 

長澤 もともと仕入れ先だったりお客さまだったりした人が、話すうちに意気投合して「一緒にやりたい」と中途入社してくれました。本当にありがたいことです。地方の小さな町ですから、普通なら多様な人材を採用することは難しい。ですが、さまざまな経験を積んだ人材が遠方からも入ってくれています。地元と遠方、生え抜き人材と外での経験を持つ人材が混ざり合っていることは、当社の強みになっています。

 

五島 ジュニアボードを使って中期経営計画の策定に挑戦された狙いはどこにあるのでしょうか?

 

長澤 最初は私の夢に共感して入社してきた社員であっても、何年かたつと考え方にズレが生じてくるものです。あらためて、みんなで何を目指していくのかを共有したいと思いました。

 

ただ、組織が大きくなる中、私が望むのはトップの夢に社員が従う形ではなく、社員と一緒につくった夢を共有する姿。その方法として、一緒に将来を考える中期経営計画の策定が適していると考えました。

 

五島 実際に中期経営計画を作成された感想や成果などがあればお聞かせください。

 

長澤 今回、社員と一緒に夢をつくったことで目指すべき自社の姿が明確になりましたし、現状や課題について社員と共有できた点が良かったと思います。私の理想は、私が今日でいなくなったとしても、明日以降も何の問題もなく事業が継続される組織。共有した経営課題に対して各自が対策を考えるようになるなど社員の成長を感じていますし、組織が進化しつつある。そこが一番の成果だと捉えています。

 

森松 今は組織経営への転換期と言えます。経営幹部がそれぞれ考えを持つことで、課題に対する選択肢が増えることは確かです。荒井部長はメンバーとして参加されていましたが、どのような感想を持たれましたか。

 

荒井 ジュニアボードという場でメンバーと議論を交わしたことは、夢や課題を共有する上でとても大事だったと思います。これまで、部長や課長であっても経営課題について深く認識していませんでした。共通のベースができたので、次はどのような手を打つべきか決断する力を付けていく段階。これには少し時間をかけて取り組んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 

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