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100年先も一番に
選ばれる会社へ、「決断」を。
【インタビュー】

100年経営対談

注目企業のトップや有識者と、タナベコンサルティンググループ タナベ経営の社長・若松孝彦が「100年経営」をテーマに対談。未来へ向けた企業の在るべき姿を描きます。
インタビュー2022.03.01

感動の技術とブランディングで本質的な価値を提案:ツインバード工業 野水 重明氏×タナベ経営 若松孝彦

新潟県・燕三条に本社を置き、「心にささるものだけを。」をブランドプロミスに、「本質的に豊かな暮らし」を追求するツインバード工業。マイナス40度という超低温でのワクチンの運搬・保管を可能とするワクチン運搬庫「ディープフリーザー」を開発し、2021年には創業70周年を機にリブランディングを実施した。燕三条のものづくりの歴史に裏打ちされた高い技術力と、本質的な価値を伝えるブランディングで、「新しい生活の喜び」を創造する同社の経営に迫る。

 

 

原点にたどり着いた創業70周年

 

若松 ツインバード工業は、2021年に創業70周年を迎えられました。おめでとうございます。経営コンサルティングを含めてご一緒している長いご縁にも感謝します。創業70周年を機会にリブランディングで企業ロゴなどを刷新されましたね。

 

野水 企業ロゴは、これまで使っていたデザインをベースに刷新しました。先人の意思や歴史を受け継ぎつつ、世界に出ても当たり負けしないような力強い表現のロゴに進化しています。

 

若松 コロナ禍において、マイナス40度という超低温でのワクチンの運搬・保管を可能とするワクチン運搬庫「ディープフリーザー」が国内の感染抑制に大きく貢献しました。これが多くのメディアでも報道され、命や健康を守る企業というイメージが広がっています。

 

野水 厚生労働省からワクチン運搬庫の大型受注を頂いたことで、当社の技術が唯一無二であると明らかになりました。偶然ですが、ちょうど創業70周年という節目を迎えるタイミングだったこともあり、燕三条の技術を駆使した本質的に価値のあるプロダクトを提供していく姿勢を明確にできました。

 

若松 このタイミングでのリブランディングによって、ブランド価値がさらに高まっています。「心にささるものだけを。」という新ブランドプロミスからは、メーカーとしての覚悟が伝わってきました。

 

野水 新ブランドプロミス策定の前段では、自社の経営理念やパーパス(存在意義)、ビジョン(将来ありたい姿)、バリュー(価値基準)、行動規範について何度も話し合いました。その中で、「ツインバードのパーパスって何だ?」「われわれはお客さまに何をお約束するのか?」といったことを中心に、かなり議論しました。

 

ただ、議論は結局、創業者や先代がずっと大切にしてきた経営理念「感動と快適さを提供する商品の開発」に行き着きました。感動とは、お客さまの心に刺さること。原点回帰となり、そこに落ち着いたのです。

 

 

「本質的に価値ある家電を追求する」という思いのもと、“匠の技を、おうちで好きなだけ味わう”を実現する「匠プレミアム」と、“本当に必要なものだけがくれる感動と快適を長く提供”する「感動シンプル」という2つの製品ブランドラインを新設。ロゴにあるツバメのマークは、新潟県燕三条発のブランドであることを伝えている

 

 

ディープフリーザーを生み出した技術力

 

若松 原点回帰でありながら、未来に向けたメッセージにもなっています。今も続くコロナ禍において、ディープフリーザーを開発、供給できたのはツインバードの高い技術力がベースにあるからです。その技術力がどのように培われたのか、これまでの経緯をお聞かせください。

 

野水 当社は、腕の良いメッキ職人だった祖父の重太郎が1951年に新潟県三条市で創業したのが始まりで、しばらくは下請けとして事業を続けていました。1963年1月に北陸地方を中心に大雪に見舞われると、ストーブ用柵のメッキ受注が拡大。しかし、翌冬は暖冬で注文が激減してしまいました。不安定な受注で「家族や社員を路頭に迷わせるわけにはいかない」と考えた重太郎はメーカーからの大量受注を断り、私の父である重勝とともに自社製品開発に着手。脱下請けへかじを切りました。

 

若松 ブランドの創成期であり、今日につながるエポック(時代)です。下請けのまま終わる企業と、自社ブランド開発に進む企業が存在しますが、その差は経営者の意志や事業スピリッツによる部分が大きい。「志」と言っても良いでしょう。どのような分野に挑戦したのでしょうか。

 

野水 燕三条は金属加工の町ですから、ナイフやフォークといった金属製のテーブルウエアを中心に開発していました。中でも好評だったのが、ナポレオントレーです。ケーキ店やホテルのビュッフェなどで使われる金属製のトレーですが、それが大ヒットしました。

 

その後、ガラス製のコップに金属の取っ手を付けた製品や、プラスチックと金属を合わせたアイスペールなど異素材を組み合わせた製品も開発しました。1970年代になるとカタログギフトの前身となる百貨店のリーフレットに採用されるなど、販路が広がっていきました。

 

若松 当時からカタログギフトは燕三条の強いビジネスモデルとなっていきます。家電にはいつごろ参入されたのでしょうか。

 

野水 1979年に社名を野水電化からツインバード工業に変更したころです。まずはラジオや時計、懐中電灯など、難易度の低い乾電池応用製品から参入しました。

 

その後、プラグインの掃除機や電子レンジなどへ拡大。主な販路は百貨店のカタログでしたが、それまでカタログに家電製品の取り扱いがなかったため非常に重宝されました。大手家電メーカーにとってはマーケットが小さい、競合しないニッチマーケットでした。

 

 

 

 

 

ワクチンの運搬・保管で活躍する「唯一無二」のスターリング冷凍技術

 

若松 ディープフリーザーに使用されたスターリング冷凍技術の開発はいつごろスタートしたのでしょうか?

 

野水 株式上場を意識し始めた1980年ごろ、1つの出会いがありました。シャープの元副社長で、「伝説のエンジニア」と言われた故・佐々木正氏です。当時、技術コンサルタントをされていた佐々木氏から「技術のない会社に未来はない。オンリーワンを目指すべき」というアドバイスを頂き、提案されたのがナノテクノロジーとスターリング式冷凍機でした。父はスターリング式冷凍機を選択し、1990年代後半から大きな開発・設備投資を行いました。

 

若松 「唯一無二」経営戦略の始まりですね。新しい技術には長い開発期間と先行投資が欠かせませんが、継続か撤退かを含めて常に難しい判断を強いられます。

 

野水 世の中になかった技術を世に送り出す過程では、「魔の川・死の谷・ダーウィンの海」と呼ばれる時期が必ずあります。それは壮絶な時期であり、当社もご多分に漏れず経験してきました。

 

約20年間、先行投資が続いたスターリング式冷凍機ですが、当初はBtoCのビジネスモデルを想定していたようです。例えば、氷を作れるクーラーボックスや、釣った魚をその場で凍らせるクーラーボックスなどアウトドア向けの製品です。ただ、高機能ではあるものの、コンシューマー向けにしては価格があまりにも高額でした。魚を凍らすために何十万円も払うのは現実的ではありません。

 

若松 その延長線上にディープフリーザーがあるわけですね。しかも、今回の開発は「究極のBtoBモデル」にもなっています。スターリング式冷凍機をワクチン運搬に生かそうとした発想、つまり、アジャイル開発で進めることができた点が野水社長のリーダーシップだと感じます。ツインバードの事業承継期に野水社長をご支援した際、私は「事業承継のポイントは先代(当時の社長)を丸呑みすることです」とアドバイスしましたが、まさに今回の決断とリーダーシップはその具現化であると感じています。

 

野水 あの時はアドバイスいただきありがとうございます。「先代を丸呑みする」の言葉には、驚きとともに後継社長としてある意味「吹っ切れた」感覚になったのを覚えています。

 

 

※研究開発から事業化までの工程で乗り越えなければならないとされる3つの障壁を表す例え

 

 

 

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