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【特集】

ステージアップサイクル

若手経営者や新興企業は、さまざまな「成長の壁」とぶち当たる。難壁を突破する上で必要なことは何か。ミッション・ビジョン、ブランディング、メンタルモチベーションなどの機能に着目し、ビジネスを成長へと導く「ステージアップサイクル」を考える。
2019.10.31

フロンティア精神を継承し、ゼロから 1 を生み出してナンバーワンに育てる
金子コード


2019年11月号

エリザベス女王が観戦したポロ世界大会に陪席する金子氏(最前列の左端)

 

電話機コード製造を祖業とする金子コードは、現在、医療用カテーテルやキャビア養殖を手掛ける企業へと進化を遂げている。いかに新事業を創出してきたのか、その軌跡を追う。

 

キャビア養殖に挑戦した
電話コード製造企業

2019年6月、金子コードのキャビア「HAL CAVIAR」(ハルキャビア)が、エリザベス英女王とエディンバラ公フィリップ王配の参加する伝統的なポロの世界大会「ザ・ロイヤルウィンザー・カップ」のロイヤルボックス(主賓席)の昼食会で、女王や英国王室が招待した世界の著名人に献上された。

同カップは英国で60年以上の歴史を持つポロの世界大会で、世界のポロ競技において最も著名で由緒あるトーナメントだ。この昼食会の一品に選ばれたハルキャビアの品質の高さがうかがい知れよう。

しかし、社名からも分かるように、金子コードは本来、食品会社ではない。交換機や電話機コードのメーカーとして1932年に創業した企業である。では今、なぜキャビアの生産を手掛
けているのか? その背景には脈々と引き継がれてきた同社の企業DNAがある。

「創業者は私の祖父で、電話交換機のプラグコードや電話機用コードの製造が祖業です。しかし、当時は国営の日本電信電話公社(電電公社、現NTT)の時代で、直接、製品を納入できるのは大手4社に限られていました。そこで下請けとしてコードを納めると同時に、独自の試作品を開発して電電公社に売り込んでいました。初めは相手にされなかったものの、1962年にやっと認可を得ることができました」

創業時についてこう話すのは、金子コードの3代目、代表取締役社長・金子智樹氏である。

電電公社との直接取引により、電話機の普及とともに、同社の事業は順調に拡大していった。

電話コードから医療へ カテーテルの開発に挑戦

高度経済成長期に業績を伸ばした金子コードだったが、1985年に経営環境が大きく変化した。電電公社の民営化である。それに伴って家電メーカーが続々と電話機市場に参入し、指定業者だった同社も無傷ではいられなかった。1985年に27億円強あった売上高は急降下を強いられた。

「2代目だった父は、状況を打開するために電線事業の海外展開や商品の多角化を打ち出しました。その際、新しい商品として着手したのがモジュラーケーブルで、国内シェア80%まで成長し、その後のカテーテル用チューブ開発にもつながりました」(金子氏)

海外事業については金子氏が陣頭指揮を執り、中国で電話コードの生産を行って、海外市場を開拓するなど業績を伸ばしていった。

1988年には、新規事業開発をスタート。「電線では事業拡大は望めない」という判断で挑戦したのが、高度医療を支えるカテーテル用チューブだった。

「当時、カテーテルは海外製品を使用していましたが、医療現場では日本人の体に適したカテーテルが求められていました。カテーテル用チューブの開発には、ケーブルで使う押出成形の技術が転用できると判明して開発に着手。試作品が完成した1992年にメディカル事業部を立ち上げました」(金子氏)

医療現場が求めるカテーテル用チューブの「柔らかさ」「細さ」「折れない硬さ」「操作性の良さ」を実現するため、同社は開発を進めていったが、すんなりと良い結果は得られなかった。

試行錯誤の上、自信を持って試作品を医療機器メーカーに持っていくと、すでに欧米メーカーは、それを上回る品質の製品を開発していた。また、製品が完成しても、医療機器は認可を得るのに時間がかかるため赤字が続いた。

当時はバブル崩壊後で、経営が苦しい時期。膨大な設備投資をしながら結果を出せないメディカル事業部に、社内の風当たりは強くなるばかりだった。

それでも努力を重ね、事業部立ち上げから10年後の2002年にようやく黒字転換した。その後は順調に事業拡大を続け、今では同社を支える基幹事業に成長を遂げている。

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