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【メソッド】

21世紀のラグジュアリー論 イノベーションの新しい地平

ミラノ在住のビジネスプランナー安西洋之氏による連載。テクノロジーだけではなく、歴史や文学、地理、哲学、倫理が主導する21世紀の「新しいラグジュアリー」について考察しています。
メソッド2021.07.01

Vol.21 数値化しにくい領域の価値を探る大切さ

ラスキンを通じて考える新しいラグジュアリー

 

先述の本條氏の説明を聞くと、昨今ちまたで語られる意見とラスキンの考え方は極めて近いことに気付く。大量生産・大量消費をグローバルに効率化することを最優先する社会は壁にぶち当たり、人々は「別の在り方」を探し求めている。

 

正確に言えば、大量生産・大量消費の効率を享受すべき分野もたくさんあるが、それが全てではない。そこをどれだけ浮き彫りにして、その存在意義を人々が認識することで、より生きやすい社会になるかを探し求めているのである。何よりも人を経済メカニズムの歯車として捉えていない。

 

「人間への尊厳が配慮される社会の実現」を目的にビジネスを手掛けるクチネリ氏が、ラスキンの言葉に惹かれる背景もこうした点にあるのだろう。

 

本條氏は「マーケティングや消費者行動論に関わる人には、価値が市場における相互作用によって立ち現れるものだと考えている人と、何らかの単一の原因に帰着するものだと考えている人がいます。前者がラスキンに通じる新しいラグジュアリーに関心を抱き、後者は数値だけの旧来のラグジュアリー論を支持すると考えています」と話す。本條氏はアカデミアとビジネス実践の両方において、この傾向があると指摘する。

 

本條氏が専門とする消費者行動論は、大きく分けると2つある。

 

1つは認知科学、社会心理学、行動経済学が基盤になり、人の購買の意思決定のプロセスを解明し、「売り上げをさらに伸ばす」ために貢献することを主眼とする「行動意思決定論」である。

 

もう1つは「消費文化理論」という消費者の経験全体を扱う系統である。処分まで含めた消費サイクルやコンテクスト(文脈・状況・背景)を前提とする。消費者のアイデンティティー構築、文化の創造者としての消費者、社会的演者としての消費者というテーマを扱う。

 

2つを比較すると、ビジネスの場では先に述べた行動意思決定論にくみする「派閥」の方が勢力としては強い。

 

「パリ経営大学院のジャン=ノエル・カプフェレ教授は『ラグジュアリー戦略は従来のマーケティングの逆張り』と言っていますが、そのラグジュアリー戦略も、あくまでも行動意思決定論の範囲内にあるというのが私の見立てです。なぜなら、いかに人は高いものを買うかという情報処理モデルが対象になっているからです」(本條氏)

 

そうすると、人々が生活するコンテクストを起点としたイノベーションなどは、行動意思決定論を支持する人たちの視野に入りにくい。しかし、新しいラグジュアリーは人々の日々の生活が基本であり、消費文化理論の領域になるはずだ。

 

 

 

 

消費文化理論が強く求められる時代になった

 

前回(2021年6月号)に紹介した米・ハーバード大学でファッション史を教えるジョナサン・スクエア氏が、ラグジュアリー品の購買について「子どもが水遊びをするようなもの」と表現したが、本條氏は「そうした現象も、消費文化理論でないと分からないことだと思います」と説明し、消費文化理論は新しいラグジュアリーにおいて大切な役割を担うと続ける。

 

これまでのラグジュアリーは、まずストーリーに没入することが要求され、それによってエクスクルーシブ(他とは違う、特別な)な自分を実感できるという順序だった。だが、本條氏が想定する新しいラグジュアリーは、受け手、つまりは買い手に主導権がある。その人たちの生活の中に存在し、思い入れや意味を見いだされる。

 

このように、消費文化理論はビジネスにおいて重要であるにもかかわらず、実務者や研究者からはやや遠巻きにされる傾向にあるのはなぜだろう。

 

「消費文化理論は事例研究が多くなり、数値データを取りにくいため、売り上げの向上に直結することが証明しづらいからでしょう。逆にいえば、実証主義の弱点が露呈していると言えます」(本條氏)

 

本稿の冒頭で述べた問題が、これである。

 

誤解のないように強調したいが、数値データや実証主義は大いに必要だ。ただし、それはビジネスの一部あるいは一面しか見せてくれないことを同時に認識しておかないといけない。その上で、長期的な経営の形、ビジネスの形を作っていく論理は、消費文化理論に依拠しないと構築しようがないのだ。技術のみでは成立しないビジネスの場合、この点はさらに肝となる。

 

連載19回目(2021年5月号)で英国・ロンドンにあるサザビーズ芸術大学で教壇に立つフェデリカ・カルロット氏の「ラグジュアリービジネスは社会の文化の創造に貢献する」という言葉を紹介した。長い歴史を振り返ると、その時々の衣食住のラグジュアリーなモノが社会を引っ張る文化的な価値をつくってきた経緯があるからだ。

 

社会的な義務感が動機にあるのではない。「自分が本当に作りたいものを作りたい」「自分が世界の先端にいる実感が欲しくて手に入れたい」といった人の根源的な欲求が元にある。市場調査とは縁遠い世界である。それでも、いや、それだからこそ、人々が愛してやまない製品が誕生し、たとえ高価格帯の製品になったとしても、人々は購入したいと渇望するのだ。

 

これを1つの大きなメカニズムに落とし込み、再現性のあるものとしたのが、フランスのコングロマリットを中心とする1980年以降のラグジュアリービジネスだった。それは1990~2010年代、絶好調と表現しても良いビジネスモデルとなった。本條氏の文脈で言うならば、行動意思決定論、つまり消費者の購買動機に基づいた分析データの勝利であった。

 

しかし、ラグジュアリー本来の動機を、供給者も消費者も自分のものとして感じなくなってきているように見える。ことに消費者の側において「踊らされるのには飽きた」との印象が強い。有名なタレントをアンバサダーとし、インフルエンサー主導によってインスタグラム上で「日常生活の中に馴染んだ商品」が広まれば広まるほど、似て非なるコンテクストの氾濫に消費者は違和感を強く覚えるようになっていく。

 

結果、コンテクストに対して鋭敏な意識が芽生えたために、自らのコンテクストに立脚したモノやコトへの欲求が増したと言えるかもしれない。もちろん、全てのモノやコトについて「受け手であることに満足しない」のは現実的な考え方ではない。故に、少なくとも自分の感覚がさえる領域においては、より自らの思想や感覚が解放されたところに身を置きたい。一方で、その欲求は自分のわがままに身を任すのとは異なり、自らに正直であることが他人の幸せにつながるとの確信に基づいている。

 

こうした確信で前進することが称えられる領域がある。それが新しいラグジュアリー、つまり、ラグジュアリー市場の定期調査を行っている米ベイン・アンド・カンパニーの表現を借りれば「文化と創造に秀でた商品が入り乱れるフィールド」である。

 

 

 

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Profile
安西 洋之Hiroyuki Anzai
ミラノと東京を拠点としたビジネスプランナー。海外市場攻略に役立つ異文化理解アプローチ「ローカリゼーションマップ」を考案し、執筆、講演、ワークショップなどの活動を行う。最新刊に『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)。
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