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【メソッド】

21世紀のラグジュアリー論 イノベーションの新しい地平

ミラノ在住のビジネスプランナー安西洋之氏による連載。テクノロジーだけではなく、歴史や文学、地理、哲学、倫理が主導する21世紀の「新しいラグジュアリー」について考察しています。
メソッド2021.06.01

Vol.20 言葉や消費行動の先を想像する

2021年1月、とあるウェビナーに参加した際に聞いた「ファッションと奴隷制の関係」の話が興味深かった。日本ではなじみの薄いテーマだからこそ、研究者へのインタビューを交えながら読者の皆さまへ紹介したい。

 

 

さまざまな文脈でサステナビリティーを考える

 

世界中で「サステナビリティー」という言葉が頻繁に使われている。日本のインターネット記事を読んでいても「持続可能性」という訳をわざわざ説明的に付けなくなってきたことから、言葉が浸透している様子がうかがえる。

 

サステナビリティーと聞くと、真っ先に環境問題を思い浮かべる人がほとんどだろう。あるいは、「SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」を連想する人もいるかもしれない。

 

SDGsとは、2015年9月の国連サミットで採択された、国際社会共通の目標である。2030年までの持続可能な開発目標として、17の目標とそれにひも付く169のターゲット(具体的な考え方や対策)が示されており、国連加盟国の政府や企業・組織が貧困撲滅やジェンダー平等、気候変動といった課題への具体的な対策を打ち出し、実行していくことを目指すものだ。しかし、実はこのSDGsの内容とサステナビリティーという言葉の意味がぴったりと重なるところは少ない。

 

サステナビリティーという言葉が使用されるとき、何を持続させるのか、その対象はケースバイケースである。限定的に使われていないか注意が必要だろう。

 

前回(2021年5月号)紹介した英・ロンドンのサザビーズ芸術大学アート・オブ・ラグジュアリーコースのリーダーであるフェデリカ・カルロット氏が、次のような指摘をしたのを思い出した。

 

「スカンディナビア諸国は環境保護をサステナビリティーの第一の動機とし、イタリアは風景などの美を優先してサステナビリティーの考え方が生まれた」

 

同じ言葉1つ取っても、国や地域によって異なる内容とニュアンスが含まれているというのである。

 

米国の戦略コンサルティング会社であるベイン・アンド・カンパニーの調査によれば、若い世代はラグジュアリー分野に社会的責任を期待している。したがって、ラグジュアリー領域にいる企業は、この先サステナブルにまつわることに対して「当たり前のように敏感である」ことが求められる。つまり、このサステナビリティーという言葉をどのように扱うか、慎重になる必要があるのだ。

 

 

ファッションと奴隷制の関係

 

米国東海岸で「ファッションフォワード」というサステナブルファッションやラグジュアリーを専門とするシンクタンクを立ち上げた、サーラ・エミリア・ベルナ氏に取材をした(2021年4月号)。その際、同社の企画は「あらゆる側面でサステナビリティーを基盤にしようとしている」と感じた。

 

2021年1月、私はファッションフォワード主催のウェブセミナーで、ハーバード大学においてファッション史を教えるジョナサン・スクエア氏から興味深い話を聞いた。彼は「ファッションと奴隷制の関係」という、今まで歴史の中に埋もれていた事実を掘り起こしてきたアフリカ系米国人研究者である。奴隷として自由を奪われた人たちが、自由や自分たちのアイデンティティーを表現するためにファッションをどのように使ったか。特に、奴隷にされた人々と米国の公的機関の関係を、ファッションという観点から浮き彫りにすることに焦点を置いている。

 

スクエア氏によると、2020年に倒産した米ブルックスブラザーズのスーツは、米国歴代大統領46人のうち、40人に愛用されてきたそうだ。米国を代表する高級ブランドだったが、そのビジネスは南部にある奴隷制の上に成立していたとのことだった。奴隷によって生地の原料が生産され、北部で最終商品として販売されていたからだ。

 

奴隷は既製服を渡されるか、染色されていない綿やリネン(亜麻の繊維を用いた織物)を使い、自分なりに生地を染めて服を手縫いしていた。また、雇い主のための通常業務以外の仕事、つまり、自分で育てた野菜や魚の採集で得た小銭で、服やアクセサリーを買っていた。

 

雇い主から古着をもらうこともあった。よく働く、気に入られた奴隷ならば、たまに欧州や米国北東部で生産された新品の生地を手にする場合もあった。すなわち、奴隷制度のスムーズな運営のためにファッションが利用されていたのだ。

 

こうしたシステムの上に成り立っていたブルックスブラザーズの服を、南部の奴隷を雇った農園のオーナーが購入していた。それによってブルックスブラザーズは利益を得ていたとスクエア氏は話す。

 

もう1つエピソードがある。

 

1837年、25歳のチャールズ・ルイス・ティファニーは、南部の奴隷が摘んだ綿を加工する米コネティカット州の工場のオーナーの1人だった父親から1000ドルを借り、ファンシーグッズと文具の店を開いた。それが後に宝石や時計で有名になったティファニーの始まりだ。そのため、スクエア氏はティファニーも南部の素材供給、北部での生産と販売とのシステムで成立したブランドであるとの見解を示す。

 

「現在の価値に換算して約2万7000ドルのスタートアップ援助金がなければ、そして一部、無報酬の奴隷による労働がなければ、『ティファニーで朝食を』も生まれようがなかった」とスクエア氏は話す。

 

 

※米国の小説家、トルーマン・カポーティによる1958年出版の小説。1961年にオードリー・ヘプバーン主演で映画化された

 

 

 

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Profile
安西 洋之Hiroyuki Anzai
ミラノと東京を拠点としたビジネスプランナー。海外市場攻略に役立つ異文化理解アプローチ「ローカリゼーションマップ」を考案し、執筆、講演、ワークショップなどの活動を行う。最新刊に『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)。
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