TCG REVIEW logo

100年先も一番に
選ばれる会社へ、「決断」を。
【メソッド】

旗を掲げる! 地方企業の商機

「日経トレンディ」元編集長で商品ジャーナリストの北村森氏が、地方企業のヒット商品や、自治体の取り組みなどをご紹介します。
メソッド2019.02.28

Vol.42 「ゆでガエル」にならない:アピアショッピングセンター

 

201903_hata_01

アピアショッピングセンター
共同店舗組合方式のショッピングセンターが全盛だった1985年に、富山の地元商店主たちが出資して開業。一時は年間約80億円もの売り上げを記録したが、その後、長期低迷期に入る。2011年、組織改革を断行し、その後はV字回復。現在は1985年の開業時を上回る売上高まで復活を遂げている。平日の午前10時、開店と同時に駐車場がほぼ埋まるという、にぎわいぶり
富山県富山市稲荷元町2-11-1
http://www.apa.gr.jp/

 

ビジネス上の教訓

ビジネスで重要な教訓を示す言葉に「ゆでガエル現象」というものがありますね。

急激ではない変化に対しては、当事者は得てして鈍感になり、抜き差しならない局面に至っていることに気付かない、という話。

残酷な描写で恐縮ですが、こういうことです。ぬるま湯に漬かっているカエルは、その状態から少しずつ温度を上げられていっても、その変化を認識できない。そして、いつしか湯温が相当に上がっても湯船から脱出することなく、その結果、ある瞬間にゆだってしまう。

ビジネスの話に戻しますと、経営状況がじわじわと少しずつ悪化していくような環境下にあると、深刻な状態に陥っていることを認識できず、気付いた時にはもう手の施しようがない状態で、悲劇的な局面を迎えてしまうものだ、という戒めなわけです。

今回取材してきたのは、まさにあと少しで「ゆでガエル」状態になってしまいそうだった、地方のショッピングセンターの話です。

ただし、ゆだってしまいそうな寸前で、まさに「湯温が厳しい状況になってきた」ことを察知した。そして、ある改革をもって湯船から抜け出したのです。

 

 

かつて流行した形式

富山市の中心市街地から程近い所にある「アピアショッピングセンター」は、1985年の開業です。

ここは開業に当たり、共同店舗組合の形式でスタートした商業施設でした。当時、全国規模の大手資本によるショッピングセンターが各地で増え始めていました。その流れに対抗するため、地元・富山の商店主たちが出資して組合を設立し、自前で商業施設を構築したという話です。1980年代当時、こうして共同店舗組合の形で開業する商業施設は、全国に700はあったといます。

でも、現在では、こんな共同店舗組合型の商業施設は実に半減していると聞きます。その半数は時代の流れとともに姿を消し、また、なんとか残っているところでも、往年の勢いが失せてしまっているケースが少なくないらしい。

では、アピアショッピングセンターの場合はどうなのか。その売上高の推移を見てみましょう。

1985年の開業年は約50億円でした。開業当初から施設内に、屋内プールまでも併設したスポーツクラブを直営で。当時としては極めて珍しく、それが話題を呼び、スタートダッシュに寄与したという側面もありました。

そして10年後の1995年には、約80億円を記録しています。

ところがその後、近隣にアピアショッピングセンターの2倍規模となる大手商業施設がオープン。ここから長期低落期に入ってしまいます。2008年には約45億円まで落ち込み、過去最低となりました。1985年の開業時も下回る売上高になってしまったわけです。

アピア社長の野村裕二氏は、その当時の状況をこう振り返ります。

「1995年を境に、売り上げはどんどん落ちていったけれども、ぬるま湯に漬かっている感覚でいたんです」。まさに“ぬるま湯”という言葉がここで出てきました。

「当施設の周りを大手資本の商業施設が取り囲んでいる上に、この不況下にあって、業界内外から『アピアショッピングセンターはむしろよく頑張っている方だよね』としばしば声を掛けられ、どこか安心してしまっていました」

これ、「ゆでガエル」寸前以外の何ものでもないですよね。売り上げは年々落ちていく、けれども、よく頑張っているという評価に甘えてしまう。しかも、1985年の開業当時には55を数えたアピアの組合員(店舗)は、その時点で22にまで減っていました。

 

 

自ら大きく転換を

さあ、ここからアピアショッピングセンターはどうしたのか。ぬるま湯だと踏んで、そのまま漬かり続けたのか。それとも、近い将来に突然ゆだってしまう可能性が高いと危機意識を抱いたのか。

アピアショッピングセンターは後者でした。「このままでは倒れる。変わらなかったら窮地に陥る」と判断したのでした。

 

アピアショッピングセンターの「強い店」

201903_hata_02201903_hata_03201903_hata_04

アピアスポーツクラブ
プール併設のフィットネスクラブを開業時から直営し、人気施設に
Kコスメボーテ
中部地方でトップ級の売り上げを誇っている化粧品店
リカーショップよしだ
ネット通販で大都市圏にもファンを持つ酒販店。品ぞろえが圧巻

201903_hata_05201903_hata_06

201903_hata_07

海鮮館
プロの料理人も買い付けに来るほどの実力派鮮魚店
肉のマルチョウ神戸屋
この店舗だけで年間3億円を売り上げる、人気の精肉店
サザン
「グンゼ」商品の売り上げ記録日本一、と称される衣料品店

 

 

 

 

組合形式からの転換

では、どう動いたか。組織体制を根本から見直しました。具体的には、共同店舗組合の形式を捨てたのです。

共同店舗組合の形態による組織運営には、良くも悪くも一つの特徴があります。それは「組合員に平等に1票があること」。そのため、意見が割れるような案件では意思決定が遅れ、身動きが取れなくなってしまいがちです。

例えば、古くなった施設の改修、思い切った販売促進策など、そうした戦術を取ろうにも「いや、今のままでいいじゃないか」という消極的な姿勢の組合員が一定数いると、現状維持となり、事が進まない。

「このままで構わない」、つまりぬるま湯に漬かったままで大丈夫と考える組合員の存在によって、状況はさらに悪化していきかねないということなのですね。

 

 

矢継ぎ早に手を打つ

アピアショッピングセンターは共同店舗組合から、株式会社へと組織を変えることを決断します。実行したのは2011年。

ここで一つ確認したいのですが、株式会社化に対する組合員の賛否は、相当入り乱れたのではないでしょうか。

「いや、この時点で組合員の数は20をわずかに超えるところまで減っています。別の表現をすれば、経営マインドのある店舗ばかりが残っていたとも言えます。なので、株式会社化への決議は、実はすんなりと進みましたね」(野村氏)

アピアショッピングセンターに残っていたのは、熱心かつ意識の高い経営者による店舗たちであり、その誰もが危機感を抱いていたわけです。その意味では、組織の転換は、このタイミングしかなかったとも言えるでしょうね。

2011年以降、アピアショッピングセンターは、株式会社化のメリットを生かして、矢継ぎ早に改革に取り組みます。投資、借り入れ、販売促進。全ての局面において、スピードだけでなく、成功の精度も高まったといいます。

施設(建物)自体への投資に関しては、あえて増床はせずに、今ある売り場を効率的にリニューアルしたそうです。また、買い物に訪れた客のための休憩スペースを大胆に増やしました。株式会社化したことで、顧客へのダイレクトメールやキャンペーンも、効果的に打つことができるようになりました。

アピアショッピングセンターが店内のイベント空間で催す「赤ちゃんのハイハイ競争」はすでに80回を数えるそうです。この少子化時代にあっても、毎回200~300人が参加。家族も当然、同行しますから、1000人単位の集客効果を毎回得られています。

野村氏はこうも指摘します。

「組合というのは、極論すれば組合員のための組織です。それに対して株式会社は、顧客を意識すべき組織。その違いが、販売促進策一つにも表れました」

 

 

 

異例の復活劇

それにしても、全国各地にあった共同店舗組合方式のショッピングセンターの多くは、株式会社化することもなく厳しい状況に甘んじているともみられます。それはどうしてなのか。

「想像力が足りなかったのではないか」。それが野村氏の見立てです。改革の手法は何も株式会社化に限った話ではなく、それ以外にも手立てはあったはず。でも、多くの商業施設は動かなかった。それこそ、湯に漬かったままのカエルのように、です。

アピアショッピングセンターは、ただ単に組織改革しただけではありませんでした。残った20余りの店舗が個別でも頑張った。

現在ではここから数々の「強い店」が育っています。中部地方においてトップ級の売り上げを誇る化粧品店や、大都市圏にもファンを持つに至った酒販店のほか、野村氏が経営する衣料品店は、「グンゼ」商品の売り上げ日本一を記録しているといいます。

そして現在、アピアショッピングセンターは、売上高55億円にまで復活しました。つまり、大手どころの商業施設が全盛で、かつ、人口減少の時代にあるにもかかわらず、開業年の水準に戻すばかりか、プラスアルファの数字をたたき出しているのです。

全ては、「このままではいけない」という意識から始まった、見事な復活劇であったと思います。

 

 

 

 

Profile
北村 森Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。
旗を掲げる! 地方企業の商機一覧へメソッド一覧へ

関連記事Related article

TCG REVIEW logo