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【メソッド】

旗を掲げる! 地方企業の商機

「日経トレンディ」元編集長で商品ジャーナリストの北村森氏が、地方企業のヒット商品や、自治体の取り組みなどをご紹介します。
メソッド2018.02.22

Vol.30 成功の反対は「何もしないこと」:山本食品

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工場見学から始まった

静岡県三島市に、山本食品という老舗のワサビ屋があります。

このワサビ屋社長の山本豊氏は、今から6年ほど前に、地元の経営者の会に参加したといいます。もともとそういった異業種交流の会には興味がなかった山本氏ですが、ふとしたきっかけで経営者の会に加わったところ、気持ちを揺さぶられる場面に出くわしました。

会に参加する町工場を見学したら、すごいものを作っていることに気付かされたそうです。性能のいいノズルだったり、精緻な加工を施した銘板だったり……。

「ところが、彼らの多くは下請け工場という位置付けなので、守秘義務が課せられていて、自社製作の商品に、これだけの技術を生かし切れないという側面もありました」と、山本氏は話します。

「だったら、こうした技術力を間接的に用いる形で、『僕の好きなものを作って』と頼むんだったらいいよね、と水を向けたら、『それはできる』となった」(山本氏)

そして、山本氏は町工場発の雑貨店を、彼らと一緒に立ち上げました。ボルトを半分にぶった切ったものを、カードホルダーに見立てて商品化。あるいは、ステンレスのカードミラーを製作。そんな具合でした。それらは思いの外売れたそうです。

でも、山本氏の心の中には、引っかかるものがありました。

「僕はワサビ屋です。どこかのタイミングでワサビ屋らしい商品を世に送り出したかった」

そこで思い付いたのが、ステンレスのワサビおろし板でした。

銘板の製作を得意とする町工場で、エッチング加工したステンレスの板を偶然見かけた瞬間に、可能性を感じたそうです。板を触ってみると、これはワサビおろし板になり得ると確信しました。

 

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ゴールを最初に決める

皆さんもお分かりになるかと思いますが、大根をおろすような既存の金属製のおろし板を使うと、ワサビはおいしくなりません。どうしても、きめが粗くなり、ワサビの風味が生きません。

ならば、プロの料理人が使うような、さめ皮のおろし板を用意すればいいと考えがちですが、これが実際に使うと、素人では持て余すことも多い。確かにワサビはふんわりとすり上がるのですが、使った後にきれいに洗うのが手間ですし、うっかりすると表面をカビさせてしまうからなのです。

山本氏は考えました。

「ステンレスのおろし板なら、手入れも簡単。もし、ステンレス製でありながら、さめ皮製のおろし板を超えるほどに、ワサビがふんわりとすり上がる商品を作れたなら、それは意義がある話ではないか」

つまり、“最初にゴールを決めた”わけですね。さめ皮製より扱いやすく、さめ皮製よりワサビがおいしくなる――。

この“最初にゴールを決める”という作業は、とても大事であると私は思います。2017年12月号の本連載で、三星刃物が開発・販売している「和NAGOMI」シリーズのチーズナイフを取り上げました。このナイフも、開発を始める初っぱなで、まさに“最初にゴールを決めた”わけですね。それは、「どんなに硬いチーズもどんなに軟らかいチーズも、1本ですんなり切れてしまうナイフを作る」でした。

独自性のあるゴールを決めることができれば、あとはそこに進むのみであり、ゴールが定まっているからこそ、多くの知恵が集まりやすいということでもあります。

さて、山本食品に話を戻しましょう。さめ皮製よりも扱いやすい商品を作るというゴールは、ステンレスを素材にすることでたやすく達成します。問題は、さめ皮製のおろし板よりワサビがおいしくなるという目標をどう成就するか。

ワサビのおいしさとは、いかに空気をふんわりと含ませるかに懸かっていると聞きました。それを左右するのは、おろし板に刻むでこぼこのパターンです。

そのパターンが、空気の含ませ具合に直結して、結果的に香りや辛み、そしてワサビの食感を決定付けるといいます。

さあ、それをステンレスの板でどう果たすのか。町工場との協業が始まりました。

 

山本食品社長の山本豊氏(右)と、製作を担った小林金属製版所社長の稲村大樹氏。エッチング加工を得意とする町工場との協業あってこその「鋼鮫」だ

山本食品社長の山本豊氏(右)と、製作を担った小林金属製版所社長の稲村大樹氏。エッチング加工を得意とする町工場との協業あってこその「鋼鮫」だ

 

この文字こそが決め手

試したでこぼこパターンは、300パターンほどにも及んだそうです。星型をずらりと並べてみたり、向きを変えながら小さな矢印をいくつも刻んでみたり……。でも、うまくいかない。思ったようにワサビがすり上がってくれない。

で、最後に行き着いたのは何だったか。それが54ページの画像にあるものだったんですね。

強烈なインパクトを受けました。「わさび」というひらがなを、ずらりと板に刻み込むというパターンでしたから。

私、最初にこの商品を目にした場面で、思わず、山本氏に言ってしまいました。

「これ、ふざけてるんですか」

いや、そうじゃないらしい。

「『わさび』という文字パターンを刻むと、縦に触れても、横に触れても、また斜めに触れても、パターンに全部引っかかるんです。つまり、特定の向きがない」(山本氏)

そのことにより、空気が細かく入り込んで、ワサビが美しくすり上がる。つまり、「ワサビを理想的におろすには『わさび』の文字が最高だった」という、何と言いますか、おとぎ話のような結末だったのですね。途中で諦めず、300 ものパターンに挑んだからこそたどり着けたのではないかと、思うわけです。

 

 

協業が生むものとは

この商品の名を、ここまでお伝えしてませんでしたね。「鋼鮫」と山本氏は名付けました。いい呼称ですね。鋼でありながらさめ皮のようにすれる、ということがよく分かります。

いや、さめ皮のように、という表現は正しくないかもしれません。

実際にワサビをおろしてみると、さめ皮製を使うよりも、この鋼鮫の方がワサビがきめ細かくなったように、私には感じられました。大げさではなく、まるで淡雪のような出来栄えです。おろしたワサビは手でつまめないほどで、同梱されている竹製のハケを使わないと、寄せ集められないくらい。

4000円を超えるワサビ専用のおろし板なんて売れるのか、といぶかしく感じる方もいらっしゃるかもしれませんね。

私は意外にニーズがあるのではないかと思っているのです。自分の話で恐縮なのですが、わが家では、事あるごとに手巻きずしを夕食にしています。その際、約束ごとが1つあります。それは魚の質はそこそこで済ませるけれど、必ず本物のワサビを使うということです。満足度が格段に上がりますからね。魚にお金をかけるよりも賢明ではないかという判断なのです。

そのワサビですが、上等なものを求めても際限ないので、近所のスーパーマーケットで400円程度の小さくて痩せたものを買っています。

鋼鮫で、そんな安物のワサビをすってみたら、これが大化けでした。いっぱしの仕上がりです。

こう考えると、鋼鮫が個人の食卓にもたらす幸せ感は、ばかにしたものではないと思います。

 

「鋼鮫」が完成するまで試行錯誤は続き、そして完成。町工場の実力を十二分に生かした商品がここから生まれた

「鋼鮫」が完成するまで試行錯誤は続き、そして完成。町工場の実力を十二分に生かした商品がここから生まれた

 

 

さめ皮を超えた出来栄え

あらためて感じるのは、全国各地で奮闘する企業の多くには、生かせる技術がまだまだ存在しているということですね。今回の鋼鮫のように、何かのきっかけさえあれば、そうした技術は新たな分野でも輝きをより放てるという話。

そのきっかけというのは、協業にあるのかもしれません。エッチングの技術が、他者の目(ここではワサビ屋である山本氏です)によって見いだされ、過去になかった商品になって、別の形でも開花したということですから……。

山本氏は言います。

「成功の反対は『失敗』ではなくて、『何もしないこと』」

確かにそうだ、なるほどなあ、と思わせられました。

 

従来の金属おろし板(左)、さめ皮のおろし板(中)、そして「鋼鮫」(右)でそれぞれワサビをすった。鋼鮫を使うと、ワサビが空気をたっぷりと含み、極めてきめ細かく仕上がることが分かる

従来の金属おろし板(左)、さめ皮のおろし板(中)、そして「鋼鮫」(右)でそれぞれワサビをすった。鋼鮫を使うと、ワサビが空気をたっぷりと含み、極めてきめ細かく仕上がることが分かる

 

 

 

 

Profile
北村 森Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。
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