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ミッション経営

「道徳経済合一」。近代日本資本主義の父・渋沢栄一の経営哲学は、今なお多くの企業家のポラリス(北極星)として輝き続けている。ミッションを掲げ、より良い社会の実現に取り組む事例から、持続的経営を可能にする組織・風土づくりを学ぶ。
コラム2020.11.30

特別対談 道徳経済合一で持続可能な経営を目指す。現代に生きる渋沢栄一の経営哲学:渋沢史料館 館長 井上 潤 氏 × タナベ経営 北島 康弘

 

渋沢栄一(1840~1931年)
江戸時代末期に現在の埼玉県の農家に生まれる。一橋慶喜に仕え、のち幕臣となる。明治維新後は民部省、大蔵省へ勤める。退官後は第一国立銀行など約500社の設立・育成にかかわり、「近代日本資本主義の父」などと呼ばれる。

 

「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。経済と道徳の融合を図った経営哲学には、混沌とした時代こそ立ち返るべき本質や原点が散りばめられている。変化の激しい時代を生き抜き、持続可能な経営を果たすために不可欠なものとは何か――。2020年11月にリニューアルオープンした渋沢史料館館長の井上潤氏に伺った。

 

 

渋沢史料館で渋沢栄一の哲学を伝える

 

北島 渋沢栄一先生は、500社近くの会社設立・育成に携わり日本の近代化を推進されました。道徳と経済の一致を説いた著書『論語と算盤』は今日まで読み継がれ、多くの経営者の羅針盤となっています。渋沢先生をモデルとする2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のスタートや2024年に刷新される1万円札の図柄決定を受け、あらためて渋沢先生に高い関心が集まっています。その業績や経営哲学などを紹介する渋沢史料館が、2020年11月19日にリニューアルオープンしました。おめでとうございます。私も渋沢ファンの1人として、見学するのを楽しみにしています。

 

井上 ぜひお越しください。ただ、コロナ対策として、当面は完全予約制で一度に入館できる人数の上限を設けています。実は、リニューアルオープンは3月の予定でしたが、コロナの影響で展示の見直しや追加工事を実施したため11月に延期しました。現在は3密の回避や消毒の徹底、安全にご覧いただける展示やコンテンツへの変更などの対応を講じて皆さまをご案内しています。

 

北島 開館は1982年とお聞きしています。まずは史料館の目的や概要についてお聞かせください。

 

井上 当館は、渋沢栄一の事績や考えの紹介、普及を目的に開館しました。旧渋沢邸内に残る国指定重要文化財の建物「晩香廬」「青淵文庫」のほか、1998年に新築した本館を加えた3施設で運営しています。

 

開館当初は史料の展示が中心でしたが、1989年に各分野の研究者が集まって渋沢研究会を発足。翌年の渋沢生誕150周年に合わせて外部施設での展示やシンポジウムを開催しました。それを機に、史料館での展示のみならずイベント開催や講演などへ活動が広がっています。また、財団事業として国内外の研究者や大学との交流や共同研究、セミナーの開催にも取り組んできました。

 

 

渋沢史料館 館長 井上 潤氏

 

 

あるべき社会を考え必要な事業を立ち上げる

 

北島 活動の広がりからも、その経営哲学の普遍性がうかがえます。渋沢先生が活躍されたのは、日本が明治維新を経て近代化へと進む激動の時代。渋沢先生は近代経済社会の基盤として、特に「国民の平等」や「道徳経済合一」を重視されました。そうした考えに至ったきっかけや原点はどこにあるのでしょうか。

 

井上 渋沢の言葉に「官尊民卑打破」があります。当時は官の人間が尊ばれる一方、民間人は下に見られる風潮が強く残っており、渋沢はその状況を変えようとしました。そこに至る原点は、子どものころに抱いた江戸時代の士農工商(身分制度)に対する疑問。領主のみが潤うのはおかしい。全ての領民の生活が豊かになってこそ領地が潤うと考えたのです。

 

その後、パリ万博幕府使節に随行したことで、その思いは一層強くなりました。ヨーロッパで渋沢が目にしたのは、国王や民間人、政治家といった身分の差ではなく、同じように国を思う人々の対等な話し合いで施策がつくられる社会。そこから、政治は官民協同一致であるべきとの考えや、国民全体が平等であるべきとの思いを強くしました。

 

北島 平等の考えや皆で一緒に考える、話し合うといった姿勢は、事業家・渋沢栄一の軸となる考え方です。

 

井上 おっしゃる通りです。渋沢は事業主だけが潤う独占を嫌いました。大前提として事業を興す目的は公益性にあり、そのために資本を合わせ、人材を集めて、知恵を出し合いながら事業を推進する。この「合本主義」こそ事業を成功に導き、社会を豊かにし、出資者を含め皆の利益につながる。これは渋沢流の「平等」に通じる考え方です。 

 

渋沢の一貫した姿勢は、岩崎弥太郎からの共同事業の誘いを断ったエピソードにも表れています。合本主義ではなく個人経営を主張する岩崎とは、事業に対する考えが相容れなかったのです。

 

北島 岩崎が興した三菱商会は海運業を独占して財を築きますが、熾烈な過当競争に陥って海運業界全体の疲弊をもたらします。その後、海運事業は渋沢先生が関わった共同運輸と合併しました。

 

井上 渋沢は、事業主が利益を独占するのは仁義道徳に反すると考えていました。一方で、海運業自体は社会に必要とされる事業と位置付けており、合併による永続を選んだわけです。ヨーロッパ視察を通して、国力向上の基盤となるのは経済や産業であり、そこを固めなければならないと痛感していたのでしょう。

 

北島 渋沢先生が携わった事業の1つに、製紙事業があります。1873年に洋紙を製造する抄紙会社(現・王子ホールディングス)を日本で初めて設立しました。当時は和紙中心で国内に洋紙需要は皆無だったはずです。この時期にあえて事業化した理由はどこにあるのでしょうか。

 

井上 渋沢が最初に立ち上げたのは銀行。金融基盤を確立し、お金の流れをつくることが目的でした。その次が洋紙製造であり、目的は日本の文明・文化を高めること。ヨーロッパ視察で目にした新聞が、大きな動機付けになっていると思います。

 

もともと情報の収集や活用を重視していた渋沢は、ヨーロッパでは国内の最新情報や遠い国の出来事などが新聞に掲載され、毎日各家庭に届くことを知って非常に驚きました。書籍や新聞などが普及すれば、国民が情報や知識を得やすくなり、国全体の知力が向上する。それが日本の産業力を高めると渋沢は考えたのです。あるべき社会の姿を考えて、必要な事業を立ち上げる。国を豊かにする事業だからこそ、困難を覚悟で立ち上げたのだと想像します。

 

 

タナベ経営 北島 康弘

 

 

 

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